【WYPなう】20ヶ国の共同体で、“共に生きる”を学ぶ(2) 「惹かれる何か」に従って生きる

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世界各地でこれからの生き方、働き方を模索しているWYP編集メンバー4人。
【WYPなう】は、それぞれの「今」についてメンバー同士インタビューをする企画です。
初回記事ではそれぞれの一日の過ごし方を紹介しましたが、2回目以降は「なぜ今の働き方を選んだのか?」「これからどんな生き方をしていきたいのか?」を掘り下げていきます。
今回は、IT企業を退職したのち、アジア学院でボランティアとして働く近藤に話を聞きました。

▼前回の記事はこちら▼
20ヶ国の共同体で、“共に生きる”を学ぶ(1) アジア学院の一日

 

 

大学卒業後、外資系IT企業の営業職へ

– アジア学院で働く前は、何をしていたんですか?

2011年3月に大学を卒業してから、外資系のIT企業で営業職として働いていました。学生時代から、開発支援や途上国に関わる仕事に興味があって色々な活動をしていましたが、就職活動を進める中で、最終的に縁のあったその会社に入社することにしました。

正直に言って初めのうちは志望度が高い企業ではありませんでしたが、面接を受けたときの印象がとても良かったんです。面接をしているというよりも、お互いにコミュニケーションをとっているという感覚で、素直に楽しくやり取りができたことは今でも覚えています。そこから、この企業で働きたいと思うようになっていきました。

 

– その会社ではどんな仕事を?

法人向けのシステムの営業をやっていました。会社の人たちも担当させていただいたお客さんたちも好きでしたし、何より仕事を一から教えていただいて本当に感謝しています。

ただ最初から定年までいるつもりだったかと言われるとそうではなくて、まず3年経ったタイミングでその後のことを考えたいと思っていました。仕事のキャリアは自分の意志で選ぶものだと思っていたので、辞めたいだとか嫌いだとかではなく、それが当たり前のことだと捉えていました。

3年を節目にした理由は、単純に「石の上にも三年」という言葉を信じていたからです。先人たちがそう言っているんだから、今の自分にはわからない何かがあるんだろうなと漠然と思っていました。

 

– 会社を辞める明確なきっかけはあったんですか?

3年目の秋にずっと抱えていた大きい案件が終わり、その後に担当するお客さんが替わったんです。プライベートでも住んでいたシェアハウスを解散する時期が見えていたので、ここが一つの区切りだなと自覚するようになってきました。

でも、本当に悩みました。少しだけ仕事に自信が持てるようになった頃でしたし、当時担当していたお客さんにもすごく良くしていただいていました。ただ、全く新しいフィールドに行く気があるのならこのタイミングだろうと思い、悩んだ結果チャレンジすることにして、辞める意志を伝えました。その後いろいろな準備などがあり、ちょうど入社して丸4年間経った、2015年3月に退職しました。

 

 

「惹かれる何か」に従い、アジア学院へ

– かなり大きな方向転換ですが、どうしてアジア学院に行こうと思ったんですか?

今までずっとアンテナを張って考えていたことの多くを学び経験することができると思ったからです。途上国、開発、貧困、コミュニティ、社会問題、宗教、異文化、それに英語などです。

それから自分が今まで全く関わったことのない、「農」や「食」についても興味深いと思いました。生きる上で絶対に欠かせないものなのに、自分は野菜の一つもつくったことがない。つくり方もわからない。普段食べているような動物にも、触ったことすらないかもしれない。そう気付いたとき、これは一人の人間として恥ずかしいことのような気がしてきたんです。

 

– それを学べるのがアジア学院だった、と。

そうですね。元々、アジア学院を知ったきっかけは大学生のときに参加した、iLEAPという海外インターンシップでした。アメリカのシアトルに滞在していて、そのときにアジア学院の元職員、元ボランティア、元学生(卒業生)に出会ったんです。

アメリカ人、日本人、インド人……と、生まれた国や年齢や育ってきた環境も全く異なる3人でしたが、彼らから共通した不思議な魅力を感じました。言動や振る舞い方、モノゴトに対する価値観など、私はとても惹かれました。

 

– 「アジア学院で何を学べるか」以上に、アジア学院に関わってきた人たちに惹かれたんですね。

それから、シアトルのプログラムが終わった半年後には、インド人のRobertに会いにインドに行きました。それから数年後に、彼はWYP Vol.0のときにも取材を受けてもらい、家にも泊めてくれていました。彼が日本に来た時には、家に泊まってもらったこともあります。とても大切な友人です。

シアトル

 

先ほどの話に戻りますが、3年経ったときに「これからやっていきたいこと」を中心に、自分が思い付く限りの選択肢を並べていったとき、アジア学院のことを思い出したんです。一つ一つ整理して考えてみると、すべてが繋がる気がしました。

それに、他に考えていた選択肢とは違って、なんというか、アジア学院は少しコアな感じがしました。当時の私の周りには、アジア学院のことを知っている人は誰もいませんでしたし。なので、その分、自分には何か素敵な縁があるのではないかと勝手に思うようになり、ここに行こうと決めました。上手く説明できませんが、何かを感じていることは間違いないし、そういう言葉にはできないようなものを大事にしようと思いました。

 

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「安定を捨ててチャレンジした」という美談にしたくない

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– 大手企業を辞めてボランティア、というチャレンジには、周りも驚いたと思いますが。

うーん、そうですね……。ただ、これからやりたいことを考えたときに、アジア学院に行くのが一番だと思ったからその道を選んだという、それだけのことなんです。

会社を辞めるという選択は、「夢のためにチャレンジした」という美談として語られがちですが、そんなおおげさなものではないというか。退職するとか、新しい場所に行くとか、それだけなら誰でもできますよね。

私は「すごい」と言われるような何かを成し遂げたわけではないので、会社を辞めたこと自体を美談めいた文脈で語られるのには少し違和感があります。

 

– 確かに、「レールを外れて挑戦したぞ!」みたいな、力の入った感じではなさそうですね。

「サラリーマンを辞めることはかっこいい」という風潮は確かにあると思います。でも私は、会社勤めが悪いことだとはまったく思っていません。

前職でも、人として好きで、尊敬できるかっこいい人たちにたくさん出会いました。会社という枠組みを通じて、たくさんの人たちが重ねてきた努力によって、つくられ、支えられているのがこの社会なんだということを学びました。

今の自分の生き方が絶対に正しいのかと聞かれたら、まだまだわからないことだらけですし。ただ、自分が「こっちがいいな」と思うほうに従って生きていきたいという、本当にそれだけのことです。