【WYPなう】ベトナムに日本語学校をつくる(2) PR会社からベトナムへ

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世界各地でこれからの生き方、働き方を模索しているWYP編集メンバー4人。
【WYPなう】は、それぞれの「今」についてメンバー同士インタビューをする企画です。
初回記事ではそれぞれの一日の過ごし方を紹介しましたが、2回目以降は「なぜ今の働き方を選んだのか?」「これからどんな生き方をしていきたいのか?」を掘り下げていきます。

今回は、ベトナムで日本語学校の立ち上げ事業に携わる鼈宮谷(べっくや)に話を聞きました。

▼前回の記事はこちら▼
ベトナムに日本語学校をつくる(1) ホーチミンの一日

 

「世の中の流れをつくる」 PR会社の仕事

ベトナムに行く前はどんな仕事をしていたのですか?

PR会社で会社員として働いていました。
もともと、絵を描くとか文章を書くとか、目に見えない何かを目に見える(伝わる)形にすることがずっと好きでした。その流れで、
ものごとの魅力を発掘してより良い形で伝えることに興味があったんです。

PR会社というとあまりイメージが湧かないかもしれませんが、かっこいい言い方をすると「世の中の流れをつくる」仕事です。ある商品やサービスが「世の中にもっと知られる」「ブームになる」ように、周辺の情報の流れを整えて、いろんな手法を使ってそれが流行るための土壌をつくっていくんです。

テレビ局、雑誌社や新聞社への売り込みもしますし、SNSのプロモーションや、記者発表会のようなイベントもやりました。結構、何でもします。


– そのときの印象的な思い出やエピソードは何かありますか?


某洋菓子チェーンの立ち上げPR。広報活動の甲斐あり、行列のできる人気店に!▲

 

クライアントさんに熱意のある人が多かったのは印象的でした。みんな「これを伝えたい!」という明確な目的があるので、人を巻き込む力があるんです。

中でも、立ち上げのPRは面白かったです。アメリカから日本に初出店する飲食チェーン、某IT企業のアプリの新規リリースや、複数の企業が集まってコンソーシアム作りますとか。0から1を作るというのは、クライアント企業の担当者さん自身も、社内の反対にあってたり逆境に立たされていたりするケースも多くて。なので、「一緒に頑張っていいもの作りましょう! 」という連帯感が生まれやすいんですよね。

今振り返ると、毎日遅くまで働いていたし辛いこともたくさんあったなあと思いますが、楽しかったですね。日々全力を出してました。


– 逆に辛かったことは何でしたか?

例えばクライアントさんの情報がテレビに取り上げられたとき、「よかったねー」で終わってしまって、結局これは誰のためになったんだろう? ともやっとすることはありました。私が扱っていたのは「なくても死なない」ものがほとんどだったので、必要性を見出すためには自分も周りも納得できる理由が要るなあと。

それから、情報を加工して伝えることには、いい面も悪い面もあります。ある人にとっては不幸なことも、メディアにとっては「おいしい飯の種」になることもある。だから、嫌な言い方をすると、人の不幸を売り物にすることもできてしまいます。言ってしまえばすべての物事はそうなんですけど、それを仕事として許容し続けられるかというと、それはちょっと辛いなと思いました

 

4年間の会社員生活を経て、ベトナムへ

– それがどうしてベトナムに?

もともと海外で働くことに興味があったので、何か手に職を付けようと思って、週末に資格学校に通いながら日本語教師の勉強をしていたんです。修了時、修了生向けの求人情報でベトナムの日本語学校立ち上げの仕事を見つけて、勢いで応募してみたら採用されました。


▲日本語講師養成講座の修了時▲

 

前職の経験から、「思い」がベースになっていて、0から1をつくるような仕事がいいなと思い、次の仕事は「立ち上げ」に絞って考えていました。他にはインドネシアとウガンダが候補にありましたね。


– なぜ海外で働くことに興味があったのですか?

それまで持っていた価値観とか、そのとき抱えていた悩みとかを改めて考えるために、物理的に距離を取ってみたかったんです。

私は地方にも海外にも住んだことがなくて、日本の都会にある価値観だけを見て育ってきました。ただ、善悪の尺度や、幸不幸の尺度は、日本でずっと見てきて身につけてきたものでいいのだろうか、という疑問をずっと抱いていました。たとえば“一回ドロップアウトしてしまったらもう終わり”、“結婚をしないで子どもを持つなんてあり得ない”、“人や経済は成長しなければいけない”とか、本当にそうなのかなと。結果的には、出てみて良かったと思っています。

IMG_7513▲ホーチミンの日本語学校で、同僚と▲

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私は英語も話せないし、意見をはっきり主張できるわけでもないし、いわゆる「世界のどこでも活躍できるグローバル人材」になれるタイプではありません。でも、日本しか知らないで日本にいることを選ぶより、国外に一度出てみた上でやっぱり私は日本を選ぼうと思えたことは、生きる上での強い納得感につながりました。一度海外に住むことでフットワークが軽くなったのもよかったと思います。物理的な距離をあまり気にしなくなりました。