『パール判事の日本無罪論』

「ねえねえ、パール判事って知ってる?」

 

最近私に会ったほとんどの人が聞いたことのある台詞だと思う。

彼の本名はラダ・ビノード・パール。

極東国際軍事裁判にて、戦勝国十一人の判事のうちただ一人、この裁判は勝者が敗者を一方的に裁いた国際法にも違反する非法・不法の復讐のプロパガンダに過ぎないとして、被告全員の無罪を判決したインド人だ。

彼はなぜ、67歳にして、カルカッタ大学総長の職を辞してまで日本にやってきたのか?

彼はなぜ、二年半もの間、調査に調査を重ね、四万五千部もの文献と三千冊もの参考図書を読破したのだろうか?

彼の判決文はなぜ、英文にして千百七十五ページ、日本語にして百万語にも及び、後に世紀の大判決文とまで呼ばれるのだろうか?

 

彼が強く強く求めた「正義」に、一人の日本人として、一人の人間として、心が震えた。

 

そして、この本にはもう一人の影の主人公がいる。彼らの名前は田中正明。本書の著者である。

冒頭にある「推薦のことば」にて、小林よしのり氏はこう語っている。

筆者の田中正明氏は、連合国占領下の言論弾圧が非常に激しい中、公表を禁止されていたパール判決文の刊行作業を秘密裏に続け、1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復したまさにその日に、本書のもととなる『パール判事述・真理の裁き・日本無罪論』を出版した。そこまでの執念でパール判決を世に問うて来たのだ。

 

これだけの強い気持ちに、純粋に、応えたいと思った。

それは、そのまま賛同するという意味ではない。

彼の問うたものに向き合うという事。

思考を停止しない事。

世間の流れにのみ込まれてしまわないという事。

 

齢80歳の高齢、前年に胆石の手術を受けたばかりの身で、昭和41年、パール氏は四度目の訪日をした。滞在最後の夜に「おわかれパーティー」と称された会で行った、日本での最後のスピーチから一節を取り上げて、終わりにしたいと思う。

いまやあなた方を裁いた国々も、あなた方に注目している。私は日本を愛す、日本の美しい伝統をますます発揚し、その上に揺るぎない”独立”を確立してほしい。そのためにはイデオロギーや利害を超え、民族として団結することが必要である。

 

@ryoichick